私達の行く先は天ではなかった。
第壱話 青川現奈の場合④
私には波さんがいないとなんにも楽しくない。正直に言ったら、波さんなしじゃなんにもできない気がする。
だって、その証拠に遺体さんを探すのだって波さんの力を借りてるし。
私にはなんにも……。
私は、私は……今までどうやって生きてきたんだろう?
私は波さんなしで生きてきた頃のことをあまり覚えていない。
"あの日"より前の事を全然覚えてない。優しかったパパのことだってわかんない。
いろんな記憶を見すぎて、自分の記憶を忘れてしまう。
自分の血や涙なんかを舐めることでちょっとだけ思い出せても、またすぐに忘れちゃう。
靴を脱いで、包帯の巻かれた足を見下ろす。
私はさっき、どんな記憶を見て、どんな楽しい気持ちになれたんだろう。
思い出せない。自分を切って思い出そうだなんて思わないけど、思い出せるなら思い出したい。
ふと、私が泣いていたことを思い出す。
……舐めようかな。
いや、今の私に舐める勇気はない。
「かーえろ。考えたくない。」
涙を拭ってコップ片手に立ち上がる。
振り返ると、海の家はもう開店していて、パパたちや他の従業員さんたちが汗をかきながら働いていた。
「……見たくない。」
わざわざそう呟いて早歩きで海を後にする。
包帯の巻かれた足が痛かったけど、そんなのも無視して家へと向かっていった。
家に帰った私は、日課のときとは違ってちゃんと「ただいま」と呟いた。
当たり前だけど、パパたちはおうちにはいない。
生まれた時からパパとママと私の三人家族だからおじいちゃんおばあちゃんもいないし、私に兄弟はいない。
つまり、私は家に独りっきり。だけれど、今の私にはそれがとても心地よかった。
靴を脱ぎ、コップを流しに置いて、足を引きずるようにして部屋のベッドに倒れ込む。
「なんか、疲れたなぁ。」
私には波さんが必要で。それ以外何も要らなくて。
パパも、ママも、最初っからいない友達も。なんにもいらない。
私の探偵劇場に生きた人間はいんないの! 助手役もいんない。
私にはアリバイも死亡推定時刻も全部が見えるから。
なのに、なのに、なんでこんなに寂しいんだろう。
涙がぼろぼろとこぼれて、ほっぺの上を流れ落ちる。もう、イヤ。
そして、涙が口元のほうに流れていく。
"私の知らない私の幸せな記憶"に心はぎゅーっと締め付けられる。
パパが抱き締めてくれた。ママが頭を撫でてくれた。
……波さんが私を包み込んでくれた。
忘れようとしても、次から次へと幸せな記憶ばかりが頭に流れ込んでくる。
最近の薄暗い記憶は流れてきてくれない。
波さんが与えてくれた能力だからなのかな…。
「はぁ…もう、いい。おやすみなさい。」
なにもかもが嫌になった私は丸くなって目を閉じた。
青川現奈の場合④
2021/02/08 up